「月命日はいつまで続ければいいのですか?」
「月命日はいつまで続けなければならないのですか?」
私の家では毎月月命日をご住職に来ていただいて30分ぐらいお経をあげて頂き、さらに正信偈の内容の勉強会を1時間ほどして頂いています。
先ほどの質問は、私の家でそういうことをしているとどこかで聞かれ、そしてその質問された方は恐らく何かしらの形で月命日というものをされている方なのでしょう。
そしてさらに、質問された言葉からそれが義務になっていてできれば止めたいという思いがすごく伝わってきます。
いつもわたしはこのように答えています。
「月命日はしなければならないものではないので、いつまでとか言う区切りはないと思いますよ」
「また止めたところで誰かに責められる事も無いと思います。」
「私の所は、以前毎日自分でお経をあげていました。でもそれが結構負担、と言うとご先祖様に怒られるかもわかりませんけど、だんだん回数が減っていって、その頃は朝夕前に座るのが精いっぱいだったのです。」
「そういう経緯があったのでせめて月一回ぐらいはお経をあげたい、でも自分の意思だけだと続かないかもしれない。そう思ったのでお寺さんから来て頂くようにしたのです。」
という事をお話しします。
ですから続けているといっても決して人様に自慢できる動機ではありません。
月一回とは言え、ご住職に来て頂くという事は準備も必要ですし負担に感じる事もあります。
だからこそそれが普通になるまで続けて、ゆくゆくは子供たちも引き継いでいってくれればいいなと思いながらさせて頂いているわけです。
それでももし続けられなくなった時には、
「ご先祖様申し訳ありません。どうも続けられそうにありません。でも朝夕のお参りはさせて頂き毎日お顔は思い出すようにしますので、どうかご容赦ください。」
とでも言ってお詫びしようと思っています。
とどのつまり、私の中では大事なことだと思っていることに変わりはないという事です。
そういう意味では、何かしらご先祖様とのつながりがあれば、他の方法でもいいのではないでしょうか。