私は天理教を信仰してきたわけではありません。
子供の頃、友達の家が天理教で、毎年夏休みになると「ひのきしん」というのにつれて行ってもらってました。大部屋に雑魚寝で、そういうのは苦手でしたけどそれなりに楽しんで帰ってきていましたね。
今でも信仰しているわけでもないのに、困った時だけ神頼みする都合のいい人間です(^_^;)
妻の出産のとき、家族が病気になった時、何かあると出向いていきます。
それじゃダメなんですけどね・・・。
ちまたでは「やばい」とか「危ない」とかいう事も言われているようですが、私はそんなことみじんも感じません。
宗教というよりは神道や神社のような雰囲気に教えもそうです。
不思議とに共感できる所がたくさんあります。
やれ大金がいるとか、昔はそんな噂もありました。
でもそれは何となく強制的なものではなく、報恩的な意味合いが強いのではないかという気がします。
今思うと。
その身に起こってくることには何かしら意味がある。
家族が病気になったら、その人だけではなくその家族も何かに気がつかなければならない何かがある。それに気づいて自分が出来ることを改善していく。
そういう気付きを与えてくれる「場」であると深く感じますね。
昨日も行ってきたんです。
少し心を洗われて帰ってきました。
うちは浄土真宗で、天理教に入信するとかそういう事はありませんけど、教えに共感するところはあるので、今までよりもちょっと行かせて頂く回数増やして見ようかなと思ってます。
何を心のよりどころにするかはその方次第ですからね。